こうのとり

私、結婚する前はよく
もう結婚はあきらめてる人と間違われました。
結婚してからはよく
もう子供はあきらめてる人と間違われますけど
私は全然あきらめていません。
とても健全に望んでいます。
子供を健全に望むようになれたから
結婚したと言ってもいいかもしれません。
私と夫は4年半前くらいから付き合っていて
そのころ夫は26歳でした。
彼は、これから鍼灸の専門学校を受験しようとしていたところで
うまく合格すればこれから3年間学生になろうとしていました。
私は37歳になったところで
NYでの最高な大冒険から帰ったばかり。
これからそれを日本でどういかそうかなぁと
動き出したところででした。
付き合い始めたころ
私は何度となく後戻りをしようと試みました。
30代の私はもてまくっており
10歳だろうがひと回り下のイケメンだろうがこわくなかったのですが
いい加減、本物のパートナーを求めていました。
若くて好奇心旺盛な若者の単なる興味の対象になるのはうんざりでした。
それで、もう会うのはやめましょう、と言うのですが
彼はけろっとして会いにきます。
聞いてなかったのかと思うとそうではなく
「あれはなんだったの?
いいようにとれば、もっとちゃんとこっちを向いてととれるんだけど」と
にこにこしながら言います。
あまりの前向きさに巻き込まれてしまって
葛藤が消えてしまうほどでした。
だけど思慮深い私はいろいろ考えていました。
見た目は若かったけれど
37歳には違いなかったので
最速でも立派な高齢出産であること。
彼はまだまだ人生が始まる前の、
ひよこになる前のような状態で
人生の重要な選択の時期はまだまだ先だろうこと。
けれど、彼もいずれは結婚して子供もほしいということ。
学校を出てさらに修行にどれほどかかるかわからないということ。
そして今のところ、
私と一緒にいたいと考えているということ。
どう考えても、パーツが整合しない状況でした。
私の希望は、
『もしパートナーと出会ったなら
なるべく早く結婚して
子供を作るのにいい環境を整えたい』でした。
なので、彼とのあまりの不整合な状況に
やっぱり彼は運命の人ではないのでは?という葛藤が湧いてきて
早く彼と別れて本物の相手を探すべきなのでは?
という心の声、
でも、彼との時間が経てば経つほど
こんなにぴったりとくる人はいないという思い、
そして彼と一緒に居るのなら
絶対に彼を幸せにしたいという思い、
その時が来て彼が望んだ時
私にもう子供が望めないというようなことは悲劇だという恐れ、
様々な思いに日々翻弄され続けました。
それで私はある時彼に言いました。
私はあなたより年上だし
今わかっていることをちゃんと話さないといけないと思う。
あなたが学校を卒業する時私は40歳になっている。
(37歳の私から見ても40歳というハードルは
はるか上方の未知の世界にありました。)
私があなたと一緒にいるということは
あなたの学生の3年間を
私は無条件に受け入れなければいけないということ。
私の希望とはだいぶ違っている。
それに私は
あなたが私を選んで、そして望んだ時、
あなたの望む子供を産んであげられる年齢でいたい。
結果としてできないということは
年齢に関係なくおこり得るけれど
でも、私はあなたが思っているほどは時間がないんだということは
私はあなたにちゃんと言ってあげなければいけないと思う。
それはあなたより私のほうが知っていることだから。
私はそれほどの思いでいるし
それを今のあなたが背負うのは大変なことだと思う。
それでもあなたはまだ私と一緒にいたいと思う?
もし、そうでないなら
今、私とは別れてほしい。
でないとお互いに不幸になってしまうから。
もちろん私は泣きじゃくっていたし
こんなにきれいな言葉では言えなかったけれど
でも、精一杯フェアに、誠実に、彼に伝えたつもりでした。
すると彼は、
いまだに最初で最後だけど
そんな思いでいたなんて知らなかった、と号泣しました。
ごめんよ、ごめんよ、と何度も言いながら。
あんな姿はそれ一度きりしか見たことがありません。
そして、やっぱり今の自分には何も約束することはできないけれど
でも、それでも一緒にいたいとやっぱり思う、と言いました。
私はその姿を見て
もう、後ずさりをするのはやめよう、と思いました。
どうなるかはわからないけれど
とりあえず前に進んでいこう、と。
それから3年間も
同じ課題で何度となくひどい言い争いをしました。
そして解決策も見つからないまま
だけど、それでも、ずっと一緒にいたいと思う、という答えだけは変わらず
一度も約束しないまま
昨年春になって、私たちは結婚しました。
もうすぐ一年が過ぎようとしています。
しあわせな生活ではありますが
この一年でもっとも印象的な出来事は、最低な出来事でした。
正直昨年の後半は立ち直るのに費やしてしまいました。
でも、夫婦の絆を育てるのには必要な出来事でした。
こうのとりはまだやってきません。
最近になってようやくわかったことですが
人間はちゃんとタイミングを計って
赤ちゃんを作ろうとしても
成功する確率は20%ほどしかないそうです。
高齢出産がハイリスクだとは知っていましたから
それは甘んじて受けるつもりでも
赤ちゃんが宿ることが
こんなに難しいことだとは知りませんでした。
多分、本当に望んで、待ってる人でないと
知らないことが多いのではないでしょうか。
もし早くにわかっていたら
2人のどちらかがおそれをなして
この道のりを回避していたかもしれないな、と思ったりもします。
でもとにかく
今がこうして在ることに
私は感謝しています。
二人で乗り切れば
嬉しさは2倍
悲しみは半分
これだけは間違いないと思います。

明日未明

ショップチャンネル、やってまいります。
朝4時から5時という、どうがんばっても一番寝てる時間帯ですが
がんばって楽しんできます♪
衣装がワンパターンなんですがそろそろ新調したいなぁ~☆

勃発

この冬何度目かのこっぴどい風邪です。
昨夜は幻覚にうなされました。
今、昨日のサンクでの自分の演奏を聴いてるんだけど
あれだけの鼻水やら咽喉やらのわりには
普通の声で歌ってます。よかった。
多分、行きの電車の中で
神さまにちょーお願いしたのが効いたんだと思います。
だって、歌ってる間だけは鼻水止まるんだもん。
それにしても広重千草のピアノはいいなぁ・・・ϡ
いつもだけど
助けられています。
なんで、私が望んでる事をわかってくれるんだろうね。
愛だね。
多分、私のテレパシーと彼女のテレパシーの波長があってるんだと思ってる。
彼女の弾いてる姿がまた美しいんですょ。
いろいろなイメージがオーバーラップしてきます。
時々、黒人の盲目のピアノ弾きが見えてきたりします。
彼女にそう言うと、別に驚いてなかった。
あぁ、そうかもね、という感じで。
話していても、私が考えていたことを先に言われたり
あと、声出さずに心の中でしゃべっていると
「え?なに?」と聞き返されたりよくします。
「いや、まだしゃべってない」とか(^^)よくあります。
先週は彼女、「私、フジ子へミングみたくなるよ」と
いきなり言ってました。
私、フジ子大好きなので嬉しかったです。
広重千草的には
「フジ子には否定的な意見が多いけど」
という意味を含め
「だけど、彼女みたいな演奏があってもいいんじゃない?私はあれにならなれるよ」
という意味合いだったみたい。
私は、ああいうのがいいでしょ!って思ってたので
やっぱり、どうりで私、広重千草好きなんだ、間違ってないね。
今、昨日の『let it be』を聴いてるんだけど
これなんか、もう、こういう風にアレンジしてほしいっていうのが
そのまま、
初めて彼女とやった時から何も言わないのに出てきた。
普通は、こんな風には弾いてもらえないんだよなぁ。
私に音楽的ボキャがもっとあって
自分でこんな風に、とか、やってみせられたらできるのかもしれないけど
(いや、それでも、こうはならないだろう)。
彼女にそう言うと、
それはAZUちゃんがそういう風に歌ってくれるから
そういう風に弾けるんだよって言ってくれて
嬉しいんですけど。
let it beは、歌ってるとマリアさまのすごい美しい光が
上空から差し込んできて
眩しくて
包まれてると
すべてを許される
その許しの光線をみなさんにも
味わってもらいたいという
そういう世界になってるんだけど
やっぱり広重千草の音がないと
なかなかそういう風にならないんです。
この間、サンクでこれを歌っていた時
すぐ隣で聴いていたお客さんが一言
「ものすごっくきれい」
と言ってくれたんだけど
それは多分、あの光が届いたんだろうと思う。
本当に私の見てる風景も
その言葉のとおり
ものすごっくきれいだったんだ。