自由ということ

自由とは何か、なんていう作文をよく書かされたものです。
中学生のころとか。
自由は私の人生を通して大きなテーマです。
ここ最近よく思うのは、自由とは思い込みからの解放だということです。
私たちを自由でなくしているものは、私たちの心の奥に潜む思い込み以外の何者でもない。
「癒し」という言葉はすっかり市民権を得た昨今だけど
癒しとは何だというと、思い込みからの解放なのだと思う。
動物に癒されるとか、自然に癒されるというのも
結局のところ、彼らは私たちをジャッジしないで与えてくれるから。
裏返せば私たちは、常にジャッジしている。世界を・・つまり自分自身を。
気がつけば私たちは常に人と比べることで自分の価値を見つけるように教育されてきた。
大人になって何かが違っていると気づき
「人と比べないライフスタイル」を取ってつけたってなにも変わらない。
人と比べないということは
あらゆる命を尊ぶということだ。
癒しも、自由に生きるということも
あらゆる命を尊び、万物の繋がりのなかに生きることへの
感謝と歓びの道へつづく。
人と比べることをやめるということは
比べたくなることを我慢して周りを見ないように閉ざすことではなく
より心と意識を拡大して
あらゆるものとの繋がりを観ることから始まる。
まずはいかに自分が無意識のうちにあらゆるものに上下をつけて
そこにエゴの救いや軽蔑や嫌悪を感じてるかを目の当たりにするだろう。
そんな自分を許し受け入れることで
他者への真の慈愛も培われる。
気の遠くなるような作業に思えるけれど
自由も癒しも愛も瞬時に起こるものだ。
それを地上にかたちとして現すには根気もいる。
神は人間にそういうことをやらせてみたいんじゃないかな。


人気blogランキングに参加しています。
1日1クリックで応援お願いします!
ここをクリックしてね~^^

ミラクル


今週の日曜は私の育った家族の偉大なる奇跡の日でした。
どんなにすごいことだったかを説明するのは難しいけれど
とても幸せだったことは間違いありません。
奇跡をお膳立てするにあたり
様々な精霊たち、ご先祖さま、今を生きる人間たちの人生における弛まない歩み
全宇宙と地球とあらゆる生命の
すべての完全なる調和のなせる仕業が存在しています。
奇跡とは、宇宙の全存在の調和のなせる仕業なんだな・・・
ですから奇跡は起こるべくして起こるものなのです・・・。
この日の空をみなさんはどんな面持ちで眺められたでしょう。
妹が撮ってくれたショットをおすそ分けします。
天に向かって歩んでいく私と夫です。
3年ほど前の瞑想で、私はこんな構図を見ていました。

人気blogランキングに参加しています。
1日1クリックで応援お願いします!
ここをクリックしてね~^^

人生をデザインする

私のやり方は、イメージ・ビジュアライズ・想像、これに尽きます。
人生は思い通りになる、ということに気づかれている方は多いけれど
実際にどうやっていいかわからないとか
これまでの社会の規範に慣れすぎていて
そちらに従ってしまうとあっという間に壁に当たってしまうという方も
多いのではないかと思います。
そんなとき私は、道は大きく2つに分かれているのだと思います。
社会の規範に従って安全と思われる道を歩むか
根源に立ち返って(この宇宙のエネルギーの原理と思われる流れに従った)道を歩むか。
私は早々に、社会の規範や目に見えるもの主体の原理の生き方にギブアップしました。
そちらのほうに従ってみるとどうしても、未来が見えなかったからです。
私はからだも心も弱いというか、様々なものに過剰に敏感だったし
欺瞞と矛盾に満ちた弱肉強食的な波動の荒い世界で逞しく生き抜いていく自信もすべも
まるっきり備えていませんでした。
そこで普通(それまでの競争社会的生き方従った)なら
あっという間に弱者の道へドロップアウトしてしまうところでした。
実際、20代ですっかりその道を歩んでいましたし
30歳になった時にはそういう結果になっていました。
当時私にあったのは、子供のころの輝かしい自分に対する誇りのようなものでしたが
それすら、よくあるただの「過去の栄光」にすがっているようで
むなしくて仕方がありませんでした。
けれど、子供のころ培った様々な心の輝きの体験が
大人社会で全く役に立たず、
そのころ正しいと思ったこと、理想だと感じたことなどが
まるで愚かだというような社会の風潮には
やはり納得がいきませんでした。
今となっては、やはりその時感じていたことこそ真実だった、と言うことができます。
子供のころに知っていた、いのちの尊さ。
大人はなぜ、悪いとわかっていることをわざわざやるのかというような思い、
理想を追い求めても役には立たない、妥協をしなさいというような大人の言い分、
すべては社会のちっぽけな枠でのある現象の影響にすぎなかった。
どちらの道を歩むこともできます。
でも、無意識に流されて生きるより
意識して、選んで、やってみると、
そこから得る宝もより輝いて見えます。
また、新しい生き方を選んでみても
実際あまりにも慣れ親しんだ過去のやり方にすぐに戻ってしまったり
その違いが実感できないという場合に必要なのは
トレーニングです。
慣れというのは肉体のなせるワザです。
意識を変えることは今この瞬間にできます。
でも肉体が体得するのには、練習が必要です。
練習には根気が要ることもあります。
自分を見守り育む愛情が必要です。
何もできない赤ちゃんの成長を待つような慈愛が要ります。
私は、自分を育て直す過程で
こんなにも難しい子はいないというほど大変な思いをしました。
私はアダルトチルドレンの家庭で育つ中で自己崩壊しないために
徹底的に分析し理論武装するというすべを身につけていましたので
ただ感覚的に、とかそのほうが幸せだからこうしましょう、というような教えは
一切受け付けませんでした。
ただ、本当に現世に絶望していましたので
ひかりを見つけたい、
何か救いがあるのならどんなことでもやってみようという気持ちだけは
人一倍だったのです。
そんな私が、内なる直観に従って、宇宙のエネルギーの使い手として生きる道を思い出し
自由に、いのちの尊厳と共に生きるやり方で生きるには
まさにトレーニングの連続でした。
もし、もうこれ以上誰かのものさしで生きるのは限界だ、とか
疲れてしまって、もうこれ以上良くなるなんて想像がつかない
なんて感じている方がいるなら
それは大チャンスだと私は思います。
エゴが死ぬ時、宇宙とより深く繋がるチャンスだからです。
ちょっと、現実のいろんなことを脇においておいて
理想の私を思いだしてみます。
ほんとのほんとの理想です。
子供のときの私がバンザイして喜んでくれるよな私のことです。
この星にやってくる前に、
こんな私になってやろうと意気込んでいた時に思い描いた私です。
成熟した大人になってみて、本当に満足できる自分です。
何度となく目覚めを繰り返さなければならないほど
私たちはすぐに目を曇らせ心を閉ざします。
でも、そう望んでいれば
私たちは何度でも目覚めるチャンスを与えられます。
生きる限り。


人気blogランキングに参加しています。
1日1クリックで応援お願いします!
ここをクリックしてね~^^

ヴォイス・ヒーリングのワークショップ

に行ってきました。
もう十数年前になりますが、
「聖なる癒しの歌」という著書を読んでいました。
その著者渡邊満喜子さんのクラスです。
どんなことが起こるのだろうと興味深々でしたが
おもしろかった!
思えばその十数年前に(20代後半だったんだ)
それがどんな歌なのか知らないけれど
私もそれを歌いたい、と思ったものです。
演劇出身なので、からだそのものから出る声、
魂が奏でる声、声は霊性をあらわす、声は宇宙と肉体をつなげる
などという概念は体感的にそのころからわかっていました。
3時間半のクラスのうち半分は満喜子さんが話しておられましたが
あれはほとんどチャネリングだったと思います。
挨拶も自己紹介もなしに終始目を閉じたまま
風に揺れる草のようにそよそよと揺れながら
静かな声で私たちの魂にそっと呼びかけられました。
その内容は、私がセラピーの時クライアントさんにお話したり
(いったいどうしてこんなにしゃべれるんだろうと思いながら)
前の日の夜、夫に向かって懇々としゃべった内容とぴたっと同じで
(選ぶ語彙までそっくりで)
自分以外の人の口から同じ言葉を直接耳にした体験にびっくりしたりしました。
そしてその歌はなんだか聴いたことのない声で
古代の楽器のようでした。
私はあたまでは「変な音!」なんて思っているのですが
からだのほうはもう熱くて熱くて
閉じた目の中は『繋がった』時に出る紫の丹光で始終いっぱいでした。
私はわりと疑い深く冷静なところがあるので
わぁ~すごいです、癒されます~というふうにはならないのですが
そこにいらした方々は涙を流されたり深い感動があったようです。
それを冷静に観察したりして。
ところが、私にも衝撃の体験が待っていました。
一人一人のために満喜子さんがその人から受け取ったエネルギーに呼応する歌を歌ってくれて
その波長に乗って一人ずつ歌うというセッションがありました。
歌った後に満喜子さんが
「今あなたこれまでおびえていたハートのチャクラをひらこうと・・」
みたいな、個人リーディングのような感じで解説してくれます。
私はどんなこと言われちゃうのかな~とちょっとドキドキ。
私の番になると先生はそれまでにないようなかわいらしいメロディーを奏で始めました。
他の人のはうなりだったり和風の音階のようだったりしたのに
私のはちょっと賛美歌のような、かわいいディーバの歌声のよう。
私は目を見開いて、起こることを見ていました。
すると歌い終わった先生は突然目をぱっと見開いてこちらをはっきり見ました。
私はびっくり!だってそれまで先生は3時間あまりの間
目を閉じたままだったからです。
開けても薄目のようでなにも見ていない感じだったのに
突然美しい大きな目でしっかりとこちらを見て微笑み、
「・・歌ってる?」と私に言ったのです。
「!は、はい・・」
「そうね、あなたは歌う魂として生まれてきたのね。
これまでも歌ってきたけど、あなたの中にもっともっと、たくさんの歌があるの。
それに臆することなく、あなたの中の本当の歌を歌う時が来たって、そう言ってるわ。」
それには感動せずにはいられませんでした。
声で癒したい、世界を変えたいと、思っていました。
なんとなく、背中を押してもらえたような、昨日の出来事です。


人気blogランキングに参加しています。
1日1クリックで応援お願いします!
ここをクリックしてね~^^